雲の如し天下御免の傾奇者

前田 慶次


ここが萌える?
慶次関連のエピソードを紹介

真の傾奇者がした最大の悪戯
慶次の悪戯心

慶次が認めた男
上杉景勝



◆慶次の悪戯心

叔父・利家にした最大の悪戯


時は天正の末年頃。豊臣秀吉が一応天下を統一し、しばし戦乱の世は少康状態を得ていた時の事。慶次の叔父・前田利家は益々秀吉に重用され、徳川家康に次ぐ威望を持っていました。
利家は慶次が常日頃から世を軽んじ、人を小馬鹿にしたようなおちゃらけた悪い癖のあることに頭を痛める毎日。だからこそ利家は口やかましくそれを誡めていたのですが、慶次にしてみると、これが馬鹿馬鹿しくてどうにも面白くない!!ウマが合わず、どうしても我慢ができないと、慶次は前田家を出ることを決意します。
しかし、何とかして四角四面の顔をしている叔父の鼻をあかしてやりたい!と、色々思案した挙句、慶次は容赦のない悪戯を決行しました。

それは慶次が前田家を出ていく日。慶次は利家を家に招くと、茶の席でもてなし、更に入浴を勧めます。

慶次:ちょうどいい熱さですよ。外は寒い、熱い湯にでも浸かって下され!

季節は冬。珍しく気のきいた慶次の言葉に、利家は嬉々として浴槽に飛び込みました。……これが、慶次の悪戯だとは知らずに。

利家:どれどれ、慶次の奴。よく気が回るじゃない…かあああああああああっ!!!!?

ぎゃあーっ!と、浴槽に響く利家の声。なんと、利家の飛び込んだ浴槽にはってあったのはお湯ではなく、熱いのは上だけのキンキンに冷たい"冷水"。しかも窓の裂け目から寒風が遠慮なく吹き込む始末。さすが温厚の利家卿も怒り心頭、バシャン!と跳ね上がるように風呂から飛び出し、

利家:け、慶次!!こぉンの痴れ者があああああああっ!!!

と叫びます。しかし利家が慌てて慶次を呼ぶも、時すでに遅し。慶次の姿は、裏口につないでおいた愛馬"松風"と共に消えていました。

慶次:へっ、愉快愉快!ざまぁねぇなー♪

叔父の利家が決して憎いわけでもなく嫌なわけでもないけれど、せせこましい檻の中に生息することがどうしてもたえられなくなった慶次。叔父にはこれまでさんざん厄介になったし、いま訣別するにしても何か置き土産が必要であると考えました。
そこで寒ーい冬の日、叔父を素っ裸にして怒らせ、それを見て手をうって喜んだわけです。何とも慶次らしい、子供のような悪戯ですね(笑)







◆上杉景勝

慶次が認めたただ一人の男


奇妙な格好で町を歩き、普通ではない奇異な振る舞いをする者の事を"傾奇者"といいました。今も残る"歌舞伎"という言葉は、ここから生まれたのだといいます。
そんな傾奇者が多く現れはじめたのは、戦国時代末期・秀吉が天下統一をし、世の中が安定してきた頃でした。それまで合戦で発散してきたエネルギーは行き場を失い、今でいう暴走族やヤンキーのようなもの?として、数々の伝説を残したのです。そんな傾奇者の中でも、秀吉に"以後、"どこで誰が相手でも自由にかぶいて良い。"とお墨付きをもらった程の"真の傾奇者"こそが、前田慶次です。
そんな傾奇者の中の傾奇者として知られる慶次ですが、そんな彼が唯一いつものおふざけをしなかった相手がいました。

ある時、時の天下人・豊臣秀吉が諸大名を集めて宴を催しました。その宴に出席していた慶次は、猿に似た秀吉を揶揄して、猿の動きを真似、猿面をつけて手拭いで頬被りをし、扇を振りながら舞を踊ったのです。そんな無礼な慶次を秀吉は大笑いします。

秀吉:いいぞいいぞ、もっとやれ!!(笑)

調子に乗った慶次は、並んでいる大名たちの膝の上に次々と腰掛けて、主人の顔色をうかがい、いかにも人を食った態度。そんな慶次に、多くの武将達は怒っていましたが、猿真似の猿舞の座興であるから…と皆が笑っていました。しかし、慶次はある男の前に来ると、不意にその膝には座らず、その前を素通りします。

景勝:………。

たった一人、慶次が膝に乗らず、無礼な悪戯をしなかったのは、物静かで無口な男。それが、後に慶次が仕える事になる男・上杉景勝です。

慶次:天下広しといえど、真に主と頼むは会津の景勝をおいて他にあるまい!

これは、当時慶次が彼を心から尊敬していた事を示すとされ、蔭も日向もなく心から信頼する人の為に義を貫く、そんな精神に満ちている武士らしい武士は、上杉景勝ただ一人あるのみと見込んでいたからだ、と伝えられています。



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