勇猛果敢な土佐の鬼若子

長宗我部 元親


ここが萌える?
元親関連のエピソードを紹介

姫若子と呼ばれた男
姫から鬼への転身

人間味溢れる元親のエピソード
禁酒令とお饅頭



◆姫から鬼への転身

見事な勝利を飾った初陣


生まれつき色白で柔和で大人しい性格をしていた元親は周囲からまるで女の子の様だと言われ、皆が武士として頼りない元親を嘲って「姫若子」と呼びました。あまり外にも出ず、軟弱ともうつけ者とも評される性格で、父の国親も行く末をかなり心配していたといいます。そんな今でいう乙男(オトメン)!?だった元親の初陣は22歳と少々遅く、その長浜の戦いの際、こんな逸話が残されています。

元親:皆は私を姫若子と呼ぶが…この戦、勝たねばなるまい。

皆に姫若子と呼ばれ、笑われてきた元親は、武将としての在り方を考え、家臣の秦泉寺豊後を呼びつけます。

元親:戦において大将とはどうあるべきなのだ?

秦泉寺豊後:大将は先に駆けず臆さずにいるものですな。大将という者は安易に引かず、無理に攻めず。その場で構えているものでございます。

この言葉を聞いた元親。ふむ、と頷くと次にこう言いました。

元親:では、槍はどう使ったら良い?

秦泉寺豊後:槍は敵の目と鼻を突くように。

この話を聞いた家臣達は、元親の事を「槍の使い方も知らぬうつけ」と噂し、「まるでおなごじゃ、姫若子様は」と嘲笑します。しかし、いざ戦になると元親はその姿を一変させ、自ら槍を手に活躍を見せました。

元親:引くな!決して引いてはならぬ!

この時元親率いる長宗我部の軍勢はは少なく、相手の本山方に圧倒され、徐々に後退気味になっています。衆寡敵せずたちまち敗北、長宗我部軍は壊乱、しかしその中で一人、元親だけはその場から一歩も引きませんでした。家来を叱咤して指揮を執り、向かってくる敵を二人まで突き倒し、後ろに回ってきたものは槍の石突で殴る元親。そんな元親の姿に引っ張られて長宗我部軍は次第に盛り返し、ついに本山軍を打ち破りました。

秦泉寺豊後:お見事で御座いましたな。

元親:お前に言われたことをやったまでのことよ。

この時元親は、秦泉寺豊後に聞いたその通りに行動し、鬼若子と言われる程の活躍をしたとされています。また、本山軍を破って戦も終わり戦後処理を始めようかという最中、突如として元親が主張をしました。

元親:このまま相手方の城に攻め込むべし。

これを聞いた家臣たちは城攻めの困難さをとくとくと主張し、口々に無謀だと言いましたが

元親:私に考えがある。ついて来い!

結局、しぶしぶ元親に従うことに。やはり姫若子じゃ、戦のことなぞ何も分からぬ…と、口々にそういった不満を口にします。しかし、いざ城に着いて一同は驚愕しました。なんと敵方の城はもぬけの殻だったのです。

家来:こ、これは一体…!?

元親:なに、本山の軍勢が撤退するのを見ていたが、城と逆の方へと逃げていった。ならば城には本山方はいないと踏んだだけのことよ。

そう言うと元親は、その色白の姫若子と呼ばれた顔に不敵な笑みを浮かべました。これ以来、家臣一同感服し、元親を姫若子と呼ぶものは居なくなったといいます。姫から鬼へ、華麗なる転身をした元親。その気概はまさに戦国乱世を生き抜いていく武将そのものでした。







◆禁酒令とお饅頭

元親の人間らしいエピソード


元親が土佐領内で禁酒令を出した事がありました。しかもかなり厳しく、細かい内容で。

元親:重臣達はもちろんだが、上下ともに大酒を禁ずる。酒乱の者が事件を起こしたら、軽くても罰金三貫、重い者は死刑!人を傷つけたり、乱暴したりするなら首を刎ねるからな。

しかし、ある時重臣の福留隼人が城下を歩いていると、酒樽を担ぐ男達が…。福留が誰のものだと問うと、その酒樽は城へ運ぶという。硬骨漢の福留は、その言葉を聞くと、いきなり樽を奪い、全部打ち砕いてしまいました。

福留隼人:人の主たる者、諸人の鑑とならねばなるまいに…自ら定めた法を自らが守らぬとはいかなることじゃ!殿のことを思えばこそ、一命をもってお諌めする!

福留はそのまま城中に怒鳴り込みます。家老以下、家中一の猛将が激昂したとあり「隼人狂乱」と元親に報告しました。しかし、さすがに元親も隼人の諫言に感じ入り

元親:このたびの禁酒の触れ、あれは誤りだったので改めて許すことにする。た…ただし、乱酒はいかん。

家臣がこんな苦情を言ってきたならば、大抵の主人はその家臣を逆に粛清してしまったりするものですが…元親は違いました。元親は素直に謝罪をし、改心したというのです。目下の者の言う事を聞く、というのは中々出来るものではなく、これは元親の器が大きい事を示すエピソードとも言えるでしょう。何とも元親の苦笑する姿が想像できる話ですが、事実、彼は家臣達にも好かれていたそうです。

他にも、元親の人間味あふれるエピソードがあります。敵を兵糧攻めにした時、城付近の麦を刈ったが全部刈り取っては領民が気の毒だと思い、元親は半分残してやれと命令しました。領民は元親に深く感謝したといいます。また、豊臣秀吉が天下を統一した後、各地の大名を集めて舟遊びをした際、秀吉は諸大名に饅頭を配りました。饅頭をもらった大名はその場で食べましたが、元親は端をちぎって食べただけで紙に包んでしまいます。それを見た秀吉が「その饅頭をどうするつもりか」と尋ねると、

元親:太閤殿下から頂いたありがたい饅頭ですので、持って帰り家来にも分け与えます。

と答えたそう。秀吉は大いに気に入り、用意した饅頭を全て与えたといいますが、元親の家臣や民とのエピソードには、彼の人間性がよく表れているものが多い気がしますよね。嫡男が死んだ際の元親の悲しみ方や、こうしたエピソードから見るに、元親は人間らしい優しさと、少し繊細な心を持っていたのでは?と考えてしまいます^^



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