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義を通し戦乱に散った名将

大谷 吉継

ゆかりの地探索コース
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関ヶ原

おすすめガイド

敦賀を離れ、吉継最後の地へ


JR東海道本線米原駅
(特別快速 20分)

JR東海道本線関ヶ原駅
運賃 480円

■岐阜・関ヶ原

三成との友情の為に吉継が戦い、散った関ヶ原。西軍、吉継ゆかりの武将達の陣跡を巡ろう!


●お薦めコース(西軍)●

歴史民俗資料館決戦地笹尾山/石田三成陣跡→小西行長陣跡→宇喜多秀家陣跡→平塚為広の碑大谷吉継墓/陣跡



▼平塚為広の碑

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平塚為広は大谷隊に属していましたが、小早川・脇坂らの寝返りによって苦戦に陥り、奮戦も虚しく戦死しました。その直前に吉継のもとに使を派遣し、冥土の土産にとして討ち取った敵の首多数と、辞世の句「名のためにすつる命は惜しからじ つひにとまらぬうき世と思へば」を送り、"日頃の約束を果たし、今討死します。最早あなたも敵の手に掛からないよう自害して下さい"と申し送りました。吉継は使者に「為広殿は武勇と言い、和歌と言い、感ずるに余りあります。早々に自害して追い付き再会しましょう」と述べ、辞世の句「契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」を託し、程なく自害しました。





▼大谷吉継の墓

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吉継は寝返った小早川隊と大激戦を演じ、兵数に大きく差があるにもかかわらず、奮闘します。しかしここへさらに脇坂ら4隊が寝返ったため壊滅、遂に自刃しました。この関ヶ原の地にある立派な墓は、大谷隊と激闘を演じた藤堂家が建てたもので、今なお香華が絶えることがないといいます。湯浅五助と藤堂仁右衛門の美談もあり、敵味方を超えた藤堂家の振る舞いには時代を超えて拍手を送りたいですね。吉継を想いながら手を合わせに行きましょう。


吉継の隣には湯浅五助の墓も




▼大谷吉継陣跡

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敦賀より9月3日に到着して以来、吉継は関ヶ原の西端・山中村宮上というところに陣を据えていましたが、9月15日朝、やや下って藤川台(口北野)に押し出し、布陣し直したといいます(関ヶ原合戦誌)。ここは吉継が陣を移した場所。戸田重政父子・平塚為広らとともに奮闘した吉継。病に冒された体、見えない目、動かない足でこの地に陣を据えた吉継を偲びたい。




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