十文字槍で志貫く赤き勇将

真田 幸村


ここが萌える?
兼続関連のエピソードを紹介

一族の存亡の為に道を別った
父・昌幸と兄・信之

幸村を支えた物語のヒーロー達
真田十勇士



◆父・昌幸と兄・信之

家康を苦しめた名智将の父と、戦乱の世で道を別った兄


それは関ケ原の合戦の際の話だった。石田三成からの「太閤様のご恩を忘れてないのなら、秀頼様に忠節を尽くしてくれるように」という勧誘を受けた真田家。父・昌幸は2人の息子を呼び寄せ、密談をはじめた。

信之:石田三成殿に勝ち目はなく、家康に付くべきだと思います。

幸村:私は三成殿に加担するべきと考えます。

2人の息子の意見を聞いた昌幸も、三成に加担して家運を開くべきだと主張。話し合いは平行線を辿ったが、昌幸は真田一族の名を守るために、意を決した。

昌幸:伊豆守(信之)は徳川につけ。わしと左衛門左(幸村)は石田につく。

そして、親子・兄弟が別れて戦う事を決めた昌幸はこう続ける。

昌幸:いずれが勝っても負けても真田の家名は残る。

父・昌幸と幸村は西軍に。そして、兄・信之は東軍へ。 親子・兄弟で東西に分かれ、お互いに敵として戦った3人でしたが、家康を苦しめた智将・真田昌幸の考え通り、関ヶ原で西軍が負けた後、兄・信之は、戦功の報賞と引き換えてでも…と二人の助命嘆願したそう。この時に、信之は信幸と名乗っていたのですが之と幸の一字を変えたと言いわれています。昌幸の名と同じ字であったために、家康の心証を考えて変えたんだそうです。名智将の父・昌幸もさることながら、兄・信之のカッコよさは深く感銘を受けますよね!お兄ちゃん、カッコイイ…!
また、信之は大坂夏の陣にて死した幸村を見送り、その後を生き続けて真田家を存続させました。徳川側にいながら、真田を守って生きたのは、死ぬことよりも難しいことだったかも知れません。

父昌幸とのエピソードにも、真田兄弟のこんな姿が伝えられています。
大笹村の入口に雁ヶ沢という谷がありました。両岸は断崖で、そこへ橋を渡してあり、橋の上から下を見下ろすと目がくらみ、足がすくむ程。まだ若かった信之と幸村はその橋の上にたたずみ、「この橋から飛び下りる者があるか」とたわむれに部下に尋ねました。
すると赤沢嘉兵衛という者が進み出て「私が飛び下りましょう」と言います。

信之:雁が下りてさえ、上がることができぬというので、雁ヶ沢というのだぞ?

幸村:人間業でできるものではないでしょう

しかし嘉兵衛は「お先に御免」と叫んで、谷底へ身をおどらせてしまいました。2人をはじめ、その場にいた皆が驚きましたが、どうしようもありません。暫くすると、昌幸がこの騒ぎをきいて駆けつけました。

昌幸:せっかくの赤沢を無駄に死なせるとは何事だ。言語道断!!

そう言いながら、くりかえし兄弟を叱りつけました。しかし、やがて一行がその場を出発しようとすると、嘉兵衛がどこからかけろっとした顔であらわれます。

嘉兵衛:これくらいの所から飛び下りたとて死ぬような私ではない

しかし昌幸は厳しい表情でこう言いました。

昌幸:稀に死なぬこともあろう!しかし、このような無茶をする者はわしの用には立たぬ。無益に命を捨てようとしたのは不所存の至りだ!

昌幸は嘉兵衛をきびしく叱り、勘気(主人からのお咎め)を申しつけます。この嘉兵衛はのちに上田篭城神川合戦の時、敵二人を討ち捕り、勘気を解かれたそう。
このエピソードに残る若い息子たちと、2人を昌幸が叱っているシーンは想像すると非常におもしろいですよね(笑)また、真田家の家臣のあり方や昌幸の家臣に対する考え方などもうかがえて興味深いです。真田の兵は日本一、その言葉に恥じない真田の家臣たちは、大坂夏の陣で幸村が討たれた後も誰一人として降参した者はいなかったそう。
これは日頃士を養っている態度が良かったからだと評されたそうです。昌幸の頃からの家臣に対する考えが、受け継がれていたのでしょうね。







◆真田十勇士

幸村を支え仕えた10人の優れた男たちの物語


真田幸村に仕えたとされる十人の優れた忠臣達――-それが、真田十勇士です。漫画・BRAVE10や小説などで彼らを知ってる方も多いのでは??
彼らの原型は江戸時代の小説"真田三大記"に見られ、十勇士の表現が使われだしたのは大正時代に人気だった娯楽小説"立川文庫"から。作品により設定や名称のアレンジがありますが、ここで少し彼らの事を紹介してみますね。

真田十勇士…呪術に通じた滋野一門の出であり、山伏とも関係が深かった真田家は、忍者を駆使して活躍したという。そのイメージが発展して生まれたのが彼ら。後世の創作と言われる彼らの存在ですが、実在説やモデルになった人物の存在を主張する説もあります。

猿飛佐助…明朗快活な小男で、猿を操ったり、身軽な身のこなしで飛び回る。モデルは上月佐助、三雲佐助賢春。

霧隠才蔵…影のある慎重派の美形として描かれ、霧を利用して戦う。モデルは霧隠鹿右衛門。

三好清海入道…僧侶の姿で、戦いの時には重い鉄棒を振り回し敵を倒していく豪傑。モデルは三好政康。

三好伊三入道…兄の三好清海入道から誘いを受けて幸村の家臣に。無鉄砲な性格で怪力。モデルは三好政勝。

穴山小介(穴山小助)…誠実な性格。真田幸村と同年令で容姿が似ている為、幸村の影武者の筆頭として活躍した。実在した人物。(諸説アリ)

由利鎌之助…鈴鹿峠近くの山中で山賊氏をしていた鎖鎌や槍の達人。元は真田家の敵だったが、幸村の誘いで家臣に。実在した人物。(諸説アリ)

筧十蔵…射撃の腕は百発百中を誇るスナイパー。由利鎌之助と共に旅して情報収集をする。モデルは筧十兵衛、筧金六郎。架空の人物説も。

海野六郎…幼い頃から幸村の家臣として仕え、真田家と十勇士の繋ぎ役。仲間の活躍を陰で支える存在。モデルは海野小平太、または海野六郎兵衛。

根津甚八…海賊の頭領から、幸村の家臣に。大坂夏の陣では影武者の1人となった。由利鎌之助とは喧嘩友達。モデルは禰津小六、または浅井井頼。

望月六郎…甲賀流忍術を扱い、火術に長けている。モデルは望月宇右衛門、望月甚左衛門、望月卯兵衛、望月卯左衛門幸忠など、諸説あり。



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